ご注意

うちは祭り記念アンソロジー「うちは祭り」に恐れ多くも寄稿したものです。

現代パラレル

マヨヒガ



「どこ行くんだよ」
 先を歩くイタチが振り返って、サスケに意味ありげな微笑みを向けた。こういう時のイタチが何も教えてはくれないことを、サスケは嫌というほど知っている。
 案の定、イタチは何事もなかったように再び山道を歩み始めた。草木を掻き分け、時折、手にした木の棒を左右に振って草を叩いている。その仕草がどこか子供じみていて、何だか可愛らしいとサスケは思う。大の男に可愛いだなんて、弟の贔屓目かもしれない。
いや、惚れた欲目だろうか。
 サスケはおもむろに天を仰いだ。一天鏡のごとく晴れ渡る空。生い茂る木々の隙間から漏れた光が目を射る。まだ昼前だというのに太陽の位置は幾分と高く感じられた。
――今日から七月だったな……
 額がじんわりと汗ばむ。本格的な夏の訪れが、すぐそこまで迫っている。
「……疲れたか?」
涼やかな声音に視線を戻せば、イタチが気遣わしげな顔でこちらを見ていた。初夏の日差しを受け燦然とした姿と、細やかな心遣いに思わず頬が緩んでしまう。イタチの問いにゆっくりと頭を振ることで答えた。イタチと一緒なのだ、辛いことなど何もない。
「それより、いいのかよ。私有地だろ、ここ……入口に看板立ってたぜ」
「何だ……気づいてたのか。心配するな、許可はとってあるさ…。ここは…日向の土地だ」
「日向?」
うちはと日向はその昔、元を同じとする一族だったと聞くが、今となっては交流などないに等しい。サスケはヒナタやネジといった日向の血筋と同窓だが、覚える限りイタチとの関わりはなかったはずだ。サスケは無意識に渋面を作った。おもしろくない。
 サスケの機嫌が傾き始めたことなど気にも留めず、イタチは歩を進める。その背中を見つめながら、せめて並んで歩けたら良かったと叶わない事を考えた。険しい山ではないが、整備されていない道幅は狭くて、肩を並べて歩くのは無理だ。何が楽しいのか、イタチは先ほどから飽きもせずに両手を忙しなく動かしている。徐々に気が滅入ってきたところで、ふと気がついた。
 山に入ってからというもの、サスケの体は一度として植物に触れていない。更に小さな虫を除けば動く物にも遭遇しなかった。先導するイタチが伸びすぎた草木を丁寧に払い、道を整え、ガサガサと音を立てているからだと漸く思い至る。
――何だよ、それ……
今まで少しも意識していなかった自分の鈍さに腹が立つ。それと同時に、落ち込んでいた気持ちが浮上していくのを感じた。我ながら単純だとは思うけれど、嬉しいものは嬉しい。子供扱いされている気もするが、それ以上に大事にされているのだと……サスケにも最近やっと分かるようになった。幼い頃のように、兄の背に飛びつきたい衝動をぐっと堪えて視線を落とす。まだ素直に喜びを顕わにするのは躊躇われた。
「サスケ……」
 不意に視界が開けたかと思うと、見事な渓流が目の前に広がる。都会の喧騒から遠く離れた山間で、水と緑が生み出す清澄な空気。奥には細く流れ落ちる白滝があり、その飛沫を受けて虹が煌く。さっきまで空を覆っていた木々は水場を避け、澄み切った青を惜し気もなく晒していた。遮るものがない陽光は、ここぞとばかりに水面に反射してキラキラと踊っている。少し前から水音が聞こえてはいたが、思いのほか大きな流れと圧倒的な自然を前にし、サスケは感嘆の声を上げた。
「……この先だ。足元に気をつけろよ……」
「ああ……」
途端にイタチが目を円くしてこちらを見た。
「…何?」
「……いや…、お前も大人になったと思ってな……」
今度はサスケが目を剥く番だ。
「なっ、バカにすんな!」
「ハハッ…、いまのはオレが悪かった。許せ、サスケ…」
イタチの白い指が額を小突く。
「う、わっ!」
不意をつかれた弾みで泥濘に足を取られてしまう。あわや転倒というところで腕を強く引かれ、イタチに抱き込まれる。急いで胸元から顔をあげると、イタチはこつりと額を合わせてきた。
「……だから気をつけろと言っただろ?」
「ハ……!?」
自分のせいだというのに、いけしゃあしゃあと……全く呆れてものが言えない。イタチがあんまり楽しそうに笑うから、サスケは黙って唇を尖らせる他なかった。


 川沿いを上っていくと一軒の小屋に辿り着いた。どうやらここが目的地らしい。
 木造のそれは川岸に建てられた小屋の部分と、川にせり出した広い桟橋が繋がっている。いや、四隅に支柱が立てられ天井に見立てた布が張られているその形状は、桟橋というより川床と呼ぶのが相応しい。新旧とりどりの木材が使われていることから察するに、最近手を入れ直したのだろう。
「…昔は、岩魚を釣りに来ていたらしいぞ」
釣りに来たというには軽装すぎる。道具が小屋にあったとしても、餌くらいは用意すべきだろう。訝しむサスケにイタチはゆっくりと小屋の扉を開けてみせた。
 独特、と表現すれば良いのだろうか。中は川辺にある釣り小屋とは全く趣が異なっている。まるで幼児の宝箱をひっくり返したように、室内は物で溢れかえっていた。
「…どういうことだ?」
「……よく見るといい…」
 イタチの言葉に室内を改めて見渡す。無理やり作られたであろう床の間に、瑞々しい花が活けてある。壁には鷹と烏を描いた水墨画がかかっていた。何を模しているのか見当もつかない粘土細工、球体関節人形などもある。その他に将棋盤や、大量のスナック菓子、凝った細工の香水瓶、犬のぬいぐるみ、サボテンやひょうたん、扇などがところ狭しと散らばっていた。
 何の統一性もない品々だが、よく見るとそれぞれが特定の人物を想起させる。イタチとサスケのどちらか、あるいは双方と関わりのある人たち。
「どうしたんだよ、これ」
「…誕生祝だ……」
「……?」
釈然としないサスケに、イタチは目を細めて笑う。
「オレと…、おまえ……ちょうど間らしいぞ。今日は……」
誕生日が近い兄弟を同時に祝うのは、中間にあたる今日が相応しいという事だろうか。それにしてもかなり仰々しい趣向だ。今まで兄弟の誕生日を纏められたこともなければ、企画した面々が姿を見せないということもなかった。
「アイツら…後で来るのか?」
「……いや、誰も来ないさ。ナルト君とサクラさん達が一計を案じてくれてな……ここにあるものは何でも持ち帰って良いそうだ…」
「おかしいだろ、そんなの……」
今回のような破格の優遇はどう考えても不自然だ。
――もしかして、気づいてるのか……?
誰にも告げるつもりはなかったが、長い付き合いだ。口にしなくても各々何かを感じ取っているのかもしれない。感づかれたからと言って、今さら変えるつもりもなかった。二人で決めた事だ。
 黙り込むサスケを余所に、イタチは床に置かれた行李を開けると中から浴衣を二着取り出した。
「……せっかくの申し出だ…、サスケ……」


「着れたか?」
「ん……もう少し…」
 昔イタチに教わったお蔭で、不格好な着方にはなっていないはずだ。けれども師匠と比べると、手際の面で差が出てしまうのは致し方ない。
 おそらく値の張るものなのだろう。サスケの浴衣は絽目透かしの入った綿絽の白を地に、濃紺で激しく飛沫を上げる波頭が描かれている。片やイタチの浴衣は濃紺地に白で切嵌め風景が描かれていた。白がとても鮮やかで紺との対比が美しい。高級そうな麻ちぢみを、それと見せずに着こなす様は流石だ。
「ああ……よく似合うな。浴衣は伯父さん達からだそうだ」
伯父、つまりマダラとイズナが揃えたと言われれば納得できる。とてもではないが、サスケと同じ年の頃で扱える代物ではない。
 イタチは満足そうに微笑んでいるが、サスケはどうもにも居心地が悪かった。さっぱりとした藍染は大層イタチに似合っている。いっそ似合いすぎるほどで、だからこそ気に食わない。元が違うのだからイタチは何を着ても様になって当然だ。しかしそれが人の選んだ物だというだけで、胸に薄ら黒い靄がかかる。
「こっちだ……」
 入口と異なる扉は、川床へ続いていた。庇代わりになっている薄い桃色の布が、同じ色の髪をもつ少女を思わせる。敷いてある御座の感触が裸足に心地よい。清らかな川の流れに、サスケの黒い気持ちも少し晴れる。
 イタチは川に近づくと、結わいてある縄を引いた。水面から、網に入れられた大玉のスイカが姿を現す。
「小屋の修繕は…カカシさんと後輩の…テンゾウさんが引き受けてくれたらしい。スイカは…きっと鬼鮫だな」
イタチの横に座って、足を川へ入れてみる。歩いて熱を持った足に冷たい水は気持ちが良かった。
空が高い。どこからか鳥の鳴き声がする。
 さくりと小気味良い音がして、目をむけるとイタチが出刃包丁でスイカを切っていた。果物を切るのに使う包丁ではないが、きっと刃物の収集を趣味としている男の物だろう。一応、小さな果物ナイフもあるようだ。そういえば大きな出刃包丁が一番の気に入りだと言っていた気がする。
 皆が色々なものを持ち寄って小屋は成り立っているのだ。
――何考えてんだ、アイツら……
 切り分けられた一切れを受け取り、豪快に齧り付いた。さっぱりとした甘さが口の中に広がり、程よく冷えた瑞々しい果実が喉の渇きを癒す。そのまま最後まで平らげると、指についた汁を舐めとって二つ目に手を伸ばそうとした。
 何とは無しに、随分と濡れた様子のイタチが目に留まる。川から網を引き揚げ、スイカを切っていたのだから当たり前だ。惜し気もなく捲り上げられた袖から素肌が覗いている。イタチの手から滴り落ちた赤い果汁が、水滴と混ざりあって白い腕を穢す。
 気づいた時には、衝動のままイタチの手首を掴んでいた。驚いたイタチの手から、食べかけのスイカが音を立てて落ちる。
「……勿体ない…」
無残な姿になったスイカを目で追い、イタチが呟いた。食べるところなど殆ど残っていなかったというのに、白々しい。
 名残惜しそうなイタチを無視して、掴んだままの左手をぐいと引き寄せる。静謐なイタチの瞳に視点を定め、殊更時間をかけて肘から手首までねっとりと果汁を舐め上げた。サスケの手と舌先にイタチの震えが伝わる。
「ん……」
イタチの柳眉が耐えるように顰められた。その仕草に下腹がずくりと重くなる。
 掌を舐め、サスケの額を小突く長い指を口に含んで舌を絡めた。尖らせた舌先で指先を突き、舌を這わせて口内できゅっと吸い込む。
「ふ…っ」
流石に苦しくなってきて小さく息を継ぐ。けれども、何故かまだ離す気にはなれなかった。
 ふと思いついて、今度は薬指に唇を落とし口腔に招き入れる。喉の奥まで使って、薬指の付け根に舌を絡め……思い切り歯を立てた。
「……ッ」
 口の中に鉄の味が充満する。傷をつけるつもりで噛みついたのだ。かなり痛かっただろうに、イタチは小さく呻いただけだった。
 喘ぐように息を吐いて、イタチの指を解放する。
「……サスケ?」
 薬指の根元に歯形。白い指には赤く血が滲んで輪になっている。サスケの企みは想像以上に上手くいった。
 突然のことに対処できないでいるイタチに意地悪く笑うと、サスケは噛みつくように唇を重ね合わせる。薄く開いた唇の隙間から舌を挿し入れると甘い味がした。それからはイタチも黙ってはいない。あっという間に舌を絡め取られ、意趣返しとばかりに甘噛みされる。
「んんっ……」
気持ち良さのあまりサスケは鼻にかかった息を漏らした。次第に水音が響くような深いくちづけへと変わり、頭の芯が痺れたようになる。飲み込み切れなかった唾液が口元を濡らすのも構わず、お互いを貪り合う。
 くちづけが激しさを増すにつれ、身体を支えることが難しくなってきた。イタチの浴衣をぎゅっと握り、しがみつくことで耐える。
 次の瞬間、サスケは肩を押され、床に押し倒されていた。見上げた先には透き通るような青と、切なくなるほど真摯な瞳で自分を見つめるイタチ。胸の奥から例えようのない情感が沸き起こる。
 イタチの手が胸元の合わせを大きく乱し、肩まで剥き出しにされる。露わになった首筋に、唇がそっと触れた。
「他意がないとはいえ……、お前が人から贈られたものを身につけているのは……妬ける」
身体の熱が一気に上がった気がした。イタチも同じことを思っていた事実に喜びが隠せない。じわりと視界が滲む。
 サスケはゆっくりと左手を差し出す。
「噛んで…くれよ……」
イタチは何も言わずに手を取ってくれた。
 薬指にイタチと同じ、赤い輪が刻まれる。その痛みさえ、愛おしかった。
 左手を掲げて、薬指にあるイタチがつけた傷をうっとりと眺める。傷の付いた手の甲をイタチに見せると、同じ痕をもつ左手でそっと握りこんでくれた。
 二人の指から流れた朱が混ざり合う。
 サスケも、イタチも、この小屋からは何も持ち出さないだろう。欲しいものは全部ここにある。今日までの思い出だけを胸にして、二人は明日、故郷を捨てるのだ。


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