夢の力(同居編)1

藤村美緒



「うそだろう。まじかよ」
 朝焼けの空の下で、サスケの目の前で燃えあがるアパート。
 消防自動車のサイレンの音が、まだ薄暗い夜明けの空に響き渡っていた。
「まだ建物が燃えています。危ないから、まわりの皆さんはもう少しさがってください」
 長い放水ホースを持った消防士達が、呆然としたサスケのすぐ脇を駆けていく。
 サスケは、夜勤明けで帰ってきた所だったが。焔にのまれそうな下宿先のアパートを見て、サスケは途方に暮れていた。

 発生から3時間後、無事に火事は消し止められた。消防と警察が現場検証に入ったところ、サスケの隣の部屋に住んでいたサラリーマンの寝たばこが原因の火災だった。アパートの建物は全焼せずボヤですんだというものの、隣接した部屋だったため、サスケの部屋もまるで激しい雷雨の夜に窓を開け放していたかのような水浸しの状態だった。部屋の惨状に、サスケは言葉も出なかった。

 会社の強引な人減らしの結果、職場に残った従業員は、残業漬けの日々だったそうだ。そんな毎日の疲れに一息入れようと、たばこに火をつけて休息を楽しんだのはいいが、火がついたままのたばこを手にしたまま、布団でうたたねをしたらしい。たばこの火は、かなりの高温である。そして、布団はなかなか火がつきにくいものだが、一度燃えると消しとめるのはなかなか難しい代物に変わるのだ。

「仕事で疲れ切った生活が原因で火事になるのは、他人事とは思えないぜ」
 サスケも病院から帰ってきて、風呂に入って寝ようと思ったら、そのまま裸のままで湯船の中で眠り込んでいたことがある。サスケの体がさらに沈み込んでいたら、お湯の中で窒息死する所だった。
 どうにかひとまず、火事騒ぎが落ち着くまで住むところが必要だった。
「とりあえずは、今日の夜に寝るところが必要になるよな」
 サスケは、疲れきった体をひきずるように、また病院に戻った。

                *    *    *

「そいつは、確かにひどい災難だったな。サスケ。おれも同情はするぜ」
「まったくだってばよ。不幸中の幸いは、おめえが自分の部屋にいないときだったってことぐらいだよな」
 夜勤明けで今日は休みのはずのサスケが早々に病院に戻ってきたので、不思議そうな顔で奈良シカマルとうずまきナルトは見ていたが。サスケから話を聞くと、深いため息をついていた。

 昼飯時、病院の食堂であじの魚フライ定食を頼むと、サスケはフライにそえてあったトマトをかじっていた。
「イタチ先生から指示されたレポートを書くために、病院の方に資料を持ち込んだタイミングで火事になって助かったよ。自腹をわって買った高い医学書が水に濡れて使い物にならなかったら、目もあてられねえよ。日常品が駄目になるほうがまだましだ」
 若さに任せて、食欲旺盛にもくもくと食事を続けるサスケに、シカマルは食事の手をとめ、頬杖を突いて眺めていた。

「とんでもない災難にあったばかりだっていうのに。てめえの精神は、相当にたくましいな。サスケ」
 シカマルがサバの味噌煮定食を箸でつつきながら、苦笑いしていた。
「今おれが大声あげて騒いだって、どうにかなる話じゃないだろう。シカマル」
 ナルトがラーメンをすすりながら、不思議そうに顔を上にあげていた。

「サスケは、もっと怒りっぽかった気がするけどな。以前のサスケなら、隣の部屋の会社員のおっさんをずっとののしり続けていたと思うぜ。おめえの手に負えない短気さに、何度学生時代に泣かされたか知らないってばよ」
 そうふざけたナルトの頭を、サスケは軽く叩いていた。

「まだほんのガキだった頃のおれと、今のおれを比較するなよ。ナルト」
「へいへい。わかったってばよ。めざす夢の大きさに合わせて、サスケはもっとでっけえ器の男にならなきゃいけないもんな」
「めざす夢だと。なあ、ナルトはサスケの夢のことを知っているのかよ」
 シカマルが不思議そうな顔をすると、ナルトは得意そうな顔をした。

「サスケが目指す夢は、最高のゴッドハンドになることさ。名医のなかの名医だろう。なあ、サスケ」
「ナルト。ぺらぺらと、軽々しくおれの大事な夢を勝手に語るな」
 サスケが怒ると、シカマルはつまらなそうに耳をかいていた。

「めんどくせえ奴だな。今度の騒ぎのことで見直した所だが、サスケ。おめえはゴッドハンドなんてお偉く構えているのになりたいのかよ。医者になったらな、今にも消えかけている人の命を救えれば、それでもう誰だって立派な名医っていうもんだろうが。奇妙な功名心をもつのは、人の命の現場にいる医者として恥ずかしいとは思わねえのか」
 ナルトは、シカマルの言葉を笑い飛ばしていた。

「でもよ、『消えかけている人の命を救えれば、それでもう誰だって名医っていうもんだろう』という文句は、救急医療センターのアスマ先生の口癖じゃねえかよ。シカマル。意外とおめえも、すごく実はわかりやすい奴だよな。おれのめざす夢は、アスマ先生みたいなかっこいい名医だっていいたいんだな。シカマル。それならサスケもおめえと全く同じだってばよ」
 シカマルは珍しくも、かなり驚いたように目を丸くしていた。

「なんだよ。雑誌に書きたてられるような名医になって、もっと金を稼ぎたいとか、女にもてたいのが目的じゃねえのか」
「おれの夢を愚弄するな。シカマル。喧嘩を売っているのか。おれのことをおちょくっているのかよ」
 ナルトは、目を怒らせたサスケの顔を指さした。

「サスケは、患者さんの命や人生を本当に大切に考えているよ。それに、サスケは、外科のうちはイタチ先生にすごく憧れているんだ。将来は、イタチ先生みたいな立派な名医になりたいって言うのが、サスケの夢なんだぜ。シカマル。サスケとおめえの抱く夢は、よく似ているだろ」
「そっか。すまねえな、サスケ。勝手にあれこれと誤解していたみたいだな。下世話な想像をして悪かったな」
 シカマルは表情をあらためて大人しく頭を下げた。素直にいさぎよくシカマルに謝られると、サスケも機嫌を直していた。
   

「ところでさ、これからどうすんだってばよ。サスケ。今日からもう帰る家がなくて困るだろう」
 幸いサスケは火災保険に入っていたので、保険会社が被害については今後の対応はきちんとしてくれることになっている。ただ、次に住む場所がすぐにみつけられないだろうというのが悩みの種だった。
「うちの病院の寮はどうだろうな。空いている部屋がないか、もう問い合わせてみたのか。サスケ」
 シカマルの言葉に、サスケは首を振った。

「病院の寮には、いまは空きの部屋がないらしい。おれがさっき、火事のことで事情を医事課事務室に電話を入れた時に聞いてみたら、いま申し込んでも駄目だろうって回答があった」
 病院の持つ寮の空きが出るまで、友人の家に間借りさせてもらうか、急遽家具つきのウイークリーマンションでも探して入居してみるしかないというのが、事務室からのアドバイスだった。ようは住むところは頑張って、自力で何とかしてほしいということなのだろう。

「確かに月々の家賃や駐車場代が格安なのはありがたいが、この病院の寮の部屋の狭さは半端じゃねえぞ。サスケ。おめえをおれの部屋に泊めてやりたいとこだが、自分の荷物とベッドで、部屋はごった返しているぞ」
 シカマルの部屋では、大量の医療雑誌が本棚に詰め込んである。地震があったら倒れてきた雑誌で身が危なくなるだろうから、すぐさま寮の廊下に走って逃げると、シカマル本人が周りの友人に語っているくらいである。

「おれの部屋もシカマルのところと似たようなもんだな。田舎の爺ちゃんや母ちゃんから送られてきた差し入れの野菜とか米の箱とかが、ごちゃごちゃにつんであってさ。正直なところ、とてもおめえを泊められる状態じゃないってばよ。サスケ」
「新しい部屋が見つかるまでは、おれに当面の間は、ホテルでひとり暮らしでもしていろってことかよ」
 シカマルとナルトは深く考え込んでいた。友達を招けるほどには、綺麗な状態ではないというのが本当のところなのだ。

「それなら、いろいろと落ち着くまでは、しばらく俺の所に住まないか。サスケ君」
 穏やかな響きの声にサスケ達が振りかえると、うちはイタチが傍らに立っていた。
「イタチ先生」
 サスケとナルトとシカマルが驚いて立ち上がると、イタチは微笑んでいた。
「そこのテーブルに、君達と一緒に座ってもいいかな。ここで食事をしながらサスケ君と話がしたいんだが」
 イタチは、きつね蕎麦がのったトレーを手にしていた。サスケたちがちょうどかけている四人がけのテーブルの席がひとつ空いている。

「どうぞ、イタチ先生。そこへお座りになってください。本当にいいんですか、イタチ先生の所にサスケの奴がお世話になるなんて」
「サスケ君が困っているなら、いつでも俺は手をさしのべたいと思っているよ」
 シカマルが席を示すと、サスケの隣にイタチは座った。

「イタチ先生にご迷惑をかけることになります。おれは、自分でなんとかできますから」
 わり箸をきちんとわると、いただきますと一言呟いてから、イタチは蕎麦をすすっていた。

「そんなに遠慮しないでくれ。困った時は、お互い様だ。医事課からの連絡を聞いて、俺も大体の事情は知っている。本当に災難だったな、サスケ君」
 ただ栄養を体に取り込む食事という行為だとは理解しているいうのに。イタチが蕎麦をすする姿に、サスケは食い入る様にみつめていた。形の良い唇に、蕎麦がすすりあげられ、かみしめられた蕎麦がイタチの白い喉を通っていく。ただの食事という行為がこんなに美しいものなのかと、サスケは心と目がとらわれるのを感じてしまう。

「今日は随分と君は無口だな。大丈夫か。いろいろあって、さすがに疲れているのか。サスケ君」
 食事の手を完全に止めてしまったサスケを気遣って、イタチは箸を置いた。
「大丈夫です。イタチ先生。もし本当にご迷惑でなければ、おれは先生の所にお邪魔してもいいんでしょうか」
「いいよ。今日から当分の間は、うちに来るといい。今日は夜勤明けで休みだろう。今日の日中はさしあたり必要になる着替えや日常品を買っておきなさい。俺が家に帰る時に、一緒に車で俺の家に行こう。買い物の帰りに、俺の診察室にまた寄ってくれるかい。サスケ君」

「ありがとうございます。おれ、イタチ先生の所にしばらくお世話になります」
「ああ。君が落ち着くまで、家にいてくれ。君を歓迎するよ」
 憧れのイタチ先生と一緒に住めるのだ。サスケは顔がみるみるうちに赤くなっていくのを感じていた。
 イタチの言葉が嬉しくて、夢のように思えて、なかなかこれが事実だと信じられなかった。

「サスケ君」
 覗き込むようにサスケに顔を近づけると、イタチはサスケの額に手をやった。
「特に熱はないみたいだな。しかし、かなり顔が赤いぞ。風邪でもひいたのか」
「平気です。おれは平気ですから。食欲だって、こうしてちゃんとあります」
 サスケの顔はますます真っ赤になっていた。イタチの手から慌てて離れると、必死でご飯をかきこみはじめた。

「あのさ、ナルト。おれは、男の顔に見惚れたのは生まれてこのかたはじめてだが。なんか、本気でショックだぜ。ナルト」
「あははは。イタチ先生の綺麗さは、もう特別なんだから。あんまし気にすんなって、シカマル。ごく自然な反応だってばよ」
 小声で耳に囁き合う若手の医者たちの前で、うちはイタチはサスケに優しく微笑みかけていた。

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